平均、均一には、「同じ」「似ている」という概念があります。
反対に同じの外側=「異なる」「違う」には外れた概念があります。
その外れた概念が自分に当てはまることを、ほとんどの人が恐れています。
なぜなら、仲間(家族)は同じ意見(戒める考え、問題に対する考え)でなければならないという思い込みがあるからです。
顔の形も目鼻立ちも、背格好も異なって生まれたことを理解し、同じ空間にいても、食べる飲むタイミングも異なり、感じるもの見たり聞いたりすることも各々であることを理解しているはずなのに、周りと違うことに不安を覚え、みんなと同じになろうとします。
皆と同じであることで安心するのです。
こういう同じでいようという思いが、無意識に生活に反映されています。
自分を基準にするのではなく、相手=周りを基準にする生き方です。
周りの目が氣になる(心配する)。
周りがどう思っているか氣になる(心に引っかかる、不安になる)。
周りが何をしているのか氣になる(氣にかかる、恐れる)。
そういう風に「自分がどうしたいか」ではなく、「相手が何を望んでいるのか」をいつも考えるようになります。
そう決めているのは自分なのに、全て起こっていることは自分のせいではないと思うようになります。そうやって他人のせいにして非難したり恨めしく思えば思うほど、私は悪くないと「学びの力」や「変化の力」を失っていきます。
考える、感じること自体「自分」なのですから、「自分」や「人生」をどう信じるかで現実は出来上がるのです。別な言い方をすると自分がそう仕向けているだけ、「自分のせい」なのです。
周りを基準にする教育は、非力な子供時代から始まり、大人の反応を見ながら大人の生き方を学びます。子供は、大人に躾けられた通りに行動します。そこには幸不幸、良悪、聖邪はなく「集団(家庭)」という基準があります。子供は大人が知っていることの中から学びます。知らないことは、学べません。
そうして大人になった人は、無意識に何かに脅えていることを知りません。「あなたのため」という思いで行動する人は、人と違って生まれてきたのに周りに嫌われないように、なりたい自分を否定して生きていることに気づかないのです。
人と違って生まれてきたことを親が気にすることで、子供はなりたい自分を愛せなくなるのです。
そして失敗を恐れるあまり、現状を維持することを選び、周りと同じであることを選び、変化を拒む「無難」を選びます。
子供だけでなく、人は皆特別な存在です。
特別な存在である自分を愛せないことほど不幸なことはありません。
過去は過ぎ去ったものであり、今から変えられるものではありません。
いつまでも過去という古臭い習慣を引きずって、自分を傷つけることほど愚かなことはありません。
新たな自分に生まれ変わるために必要なのは、人と違っていいんだ、なりたい自分を受け入れていいんだと一歩を踏み出し、過去に学んだ考え方を手放すことです。手放すとは無視すること見放すことではなく、解放すること、「許す」ことです。そういう風に教えることしかできなかった大人たちも気づかなかった自分も許すことです。許すべき大人たちにも自分と同じように脅えや痛みがあったことを理解することです。
そして、自分を愛するために、すべてを批判しないことです。するとどうなるか成り行きに任せてみませんか?自分のためになることを先延ばしにせず、誰かの氣を引こうとせず、間違うことを恐れずに、これからどうするか考えてみてください。
自分に向き合う、
相手を認める、
起きたことを受け入れ許す。