「感」という字は、戊(神)の口(応え)に心(共鳴する、自立する)と書きます。
神とは、惑星天体の運行や位置から生まれる磁場的エネルギー、それを受け取って具現化する自然そのもの、あるいは自然エネルギー。
その応えとは、メッセージを五感で受けるものです。事故が目の前で起きる。ブレーキやクラクションを聞く。焦げ臭いにおいがする。腐っていたものを口にした。誰かに引き留められたように感じた。そっちには行きたくないと感じた。
共鳴や自立とは、その受け取ったものを、どう感じて行動に移すかです。(行動に移さないことも行動の一つです)
行動に移すときの確信とは、「強く信じること」あるいは、「強い信念」を指します。信念とは信仰心や自分が正しいと思う考えやこころを言います。信念は自分が正しいと思っている物の見方や考え方をいうので、「自分にならできる」という前向きな信念もあれば、「私にはどうせ無理」という自己否定的な信念もあります。これが行動に現れます。
ハッキリしない感覚が、したいことをさせまいとし、行きたい場所へも行かせまいとして、自分の幸せを感じさせないのです。さらには、周りの幸せを喜ぶこともできなくさせているのです。
つまりは、「自分がどうしたいのか?」が漠然とぼやけてしまい、人生の目的が何となく生きるということになっていくのです。
自分がどうしたいのか?を分かっていないと迷いがたくさん生まれます。
ましてや脳にはスコトーマというフィルター機能がついていて、観たいと思うものにだけ意識が向き、それ以外を観察し記憶することが難しくなりますから、自己否定は、絶対にそんなはずはないという希望を見せつける結果を招きます。自分に対して曖昧な感覚でいるほど、これは強くなります。
反対に、ハッキリした感覚になれると自己肯定感が強まります。まずは感じる感覚を取り戻すことです。新たな感覚を自分のものにしていくことで、小さい時は感じ取れなかった楽しいことも情報として記憶として認識する、理解することができるのです。
慶太さんの講座の中で
Ask(尋ねる、目的、目標)
Answer(応え、予兆、出来事)
Received(受け取る、直感、行動)
というものがあります。
人間も動物ですから、体感して感じて受け取る、そして行動するということが「生きる」ことに繋がっていくのだと思います。
病気は結果です。
自分の行動してきた結果が形となったものです。この病気という結果に意識を向けて、そこを治してもまた、違った形で現れます。それは行動してきたことその行動の源である自身の認知について振り返ってないからです。
社会とはこういうものだ。
仕事とはこうすべきだ。
家庭とはこうあるべきだ。
こうしなければ好かれない。
こうすれば安心する。・・・
変わるには「慣れた自分を捨てること」です。同じ自分を繰り返していてはまた同じ結果を招きます。病気はたまたまイレギュラーで起きたのではなく、必然的に起きたのですから。
大切なのは、まず「自分がどうしたいのか?」を具体的に「目標設定」することです。