「作法」とは「人との関わりの中で、正しいと決められている立ち振る舞いの仕方」のことです。
ここでいう正しいとは、「正直さ」「純粋さ」「謙虚さ」「素直さ」です。
これらには「愛」が感じられます。
でも
「約束を守らない」「嘘をつく」「誠実でない」「侮辱する」「捻くれる」
こんな人に魅力は感じませんし、一緒に同じ時間を共有しようとは思いません。
- 説教をする人(自分の若いときの無茶を忘れている人)
- 人を押しのけて「場」を手に入れ、「品」を失う人
- ものの「人生」を全うさせない人(粗末に扱う人)
- 異なる生活様式を学ぼうとせず、「我」をどこでも押し通す人
- 若者を自分と同じ大人として扱わない人(見下す人)
- 学ぼうとしない人(自分の経験を捨てきれない人)
- 人前で化粧をする人(隠す美学がない人)
- 威張る人(実力が伴わない人)
- 散らかし放題にする人(混沌と整頓の区別がつけられずズレや偏りが起きている人)
- 詮索好きな人(信頼関係が築けない人、知った気分になりたい人)
- 責任を回避し、手柄を奪う人(良いときだけ近寄る人、悪く思われたくない人)
- 自分で買ったものを他人に払わせる人(自分の価値感が正しいと思っている人)
- 狂信的な人(見方を変えられない人)
このような人は、無作法な人、礼儀知らずな人と自分では思っていません。これらは本人の中では「やったことがある日常」なので、その人にしてみれば(当然)当たり前なことなのですが、ただ自分を生きていないので、これらとは真逆の「やったことがない」ことが起こり始めると、心配事や不安などを抱えることが多く、そのことが頭をいっぱいにして他人と自分を比べて、いつも緊張状態になります。
自分の理想を高く掲げすぎていて、達成できない現状に自分を追い詰めて、息苦しくさせています。その自己嫌悪の苦しみから逃れるために理想と現実のギャップを他者に責任転嫁することで、帳消しにしようとします。ただ理想の高さと実際の能力とのギャップに気づいてほしい無意識の不安感情に絶えず晒されていて、他人が意見しようものなら、いきなり豹変し周りの人はビックリします。
特に狂信的な状態にある人は周りが見えていないことが多く、無礼で思いやりに欠けています。狂信的になると、正常な判断力を失うくらいに偏った考えや教えを強烈に信じ込みます。
自分の抱えている不安感や恐怖感、自分への不信感が大きくなればなるほど、何かにすがりつきたい、安心したいという熱狂的な感情が大きくなります。理性を失った状態になるので、自分が盲信しているものを他人に強要したりします。自分が一度「こうする」と決めたら、自分だけでなく家族全員に強要するのです。指摘しようものなら、感情をあらわにします。これが周りの人達にとっては異常に見えて、戸惑うのです。
ものの見方、価値観や感じ方、認識の能力は人それぞれです。また、対象のものがどういう状態になっていれば心地よいのかといった理想も、人によって大きく差があります。夫婦や親子でこの差が激しいと、理想の高い人(考え方に柔軟性がない方、完璧主義の方、思い込みの激しい方)にとってストレスになります。他人とであれば尚更です。
自分が「こうあって欲しい」という基準が満たされないとき、自分が達成したい「こうあって欲しい」という目標を誰かが壊してしまうとき、自分なりに維持しておきたい「こうあって欲しい」という安寧を妨害されたとき、不安や不満を感じて、イライラしたり、当たってしまうのではありませんか?
「衣食足りて礼節を知る」
礼節とは、言葉の通り「礼儀(風習という行動・作法)と節度(度を越さない、適度な状態)」のことを指します。整然とした礼儀と節度のある態度のことを意味し、他人との関係を保つために必要とされる行動・作法のことを表す言葉です。
礼儀を行う心のことを礼節といい、表面的な付け焼き刃の礼儀ではなく、心が伴った言動といった道徳的な意味合いがあります。
「衣食足りて礼節を知る」とは、「生きるために必要なことが満たされてこそ、礼節をわきまえた言動をすることができる」という意味です。
言い換えると生きることに必死なときは、礼節をわきまえる余裕など生まれないということです。
生きることに必死とは心に余裕がない状況です。「何のために生きるのか?結局自分は何者なのか?」という問いに対し、明確に答えられるかどうかで心に余裕を持っているかがわかります。
背伸びをせず、自分の身の丈を知り、過去を振り返り、自分を肯定し、新しく自然の法則を学び、毎日の生活のなかで、魂の経験値を積み上げていくこと。直感で生きるということがとても大切です。
人生には良いことも悪いことも普通にあるのです。誰でも「ダメなとき」は何をしてもダメなことに気づきます。極度に意固地にならないことです。意地を張りすぎると、現実の自分を認めなくなります。これ以上ダメだなと思ったら、一度止める勇気を持つようにしないと、自分を憎む代わりに自分以外の他者を羨み、嫉み、憎むようになるのです。
自分が理解されないのは、実は自分が周りを理解していないことが多いです。
自分の考えだけを押し通すのではなく、相手の意見も聴く気持ちになりましょう。
「自分が望むのものは何なのか?」という簡単な問いに応えることなく無視し続けた結果、自身の個性の表現と経験を抑制して生活していることが、自分自身を脅迫している生き方なのだと気づかせるために事故やケガ、痛みや病気、借金という問題(気づき)で知らせています。
問題が起きたとき、今自分の置かれた環境が合っていないことに気づき、自分の幸せがどこに在るのかを考え直すチャンスが訪れているのです。問題は生まれ変わる最高のチャンスです。それは他人のためではなく、自分のために自分自身で決めるために問題は目の前に現れるのです。
GOAL(目標設定)OF MYSELF(自分の)、BY MYSELF(自分による)、FOR MYSELF(自分のための)