不運や都合が悪いことが起きると「他人のせい、環境のせい」にする人がいます。
例えば「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全て自分の責任である」という言葉を聞いてどう思いますか?お伝えしたいのは、電信柱が高いことで不都合があればそれは電信柱の高さ問題とし、郵便ポストが赤いことで運を逃すことがあればポストの赤い問題とするつまり、自分の思うようにならないことが起きると、自分のせいではないという考えが問題だということなのです。
コントロールしたい意欲が強く、コントロールできない不満は大きくなっていて、上手くいかないときほど、迷いがあるのです。迷いとは字のごとく気「米」が四方八方に散った状態を表しています。
迷いは心の乱れです。
下に挙げる例は相対するものを好き嫌いで分けたものです。
静かなところがいい、騒しいところは嫌だ
いうことを聴くからいい、反抗的だから嫌だ
便利だからいい、不便だから嫌だ
きれいなところがいい、汚いところは嫌だ
晴れた日がいい、雨の日は嫌だ
昔はよかった、今は嫌だ
動け動けと念じても、晴れろ晴れろと念じても、静かになれ静かになれと念じても、きれいになれキレイになれと念じても、昔に戻れ昔に戻れと念じても、そうならないことはわかっているはずです。
雨が降ったから、反抗的な態度をとられたから、気分が害されてミスが生まれ上手くいかなかったと言い訳するとき、他者や環境は自分の思い通りにはならないことに気付くべきです。自分をコントロールすることができていないだけです。
人には誰でも嫌っていることがあると思います。その弱点は、苦手な事や物、障害など、人によってそれぞれ違います。そして、その弱点によって嫌な気持ちになったり、マイナス思考になってしまうことがあると思います。ということは、弱点は短所でしょうか?それとも、欠点でしょうか?それは個性、多様性だと考えます。
手足がなくて生まれたのは親のせい、卵が嫌いなのは、好きなお酒が飲めないのは病気のせい、、、一つだけわかっていることは、弱点のせいにし続けても何も変わらないということです。
上手くいかないとき「自分のせいじゃない」とつい思ってしまうのも、自分の無力さを他人のせいや環境のせいにすれば楽だからです。
日々、いろんなことが起きます。自分の意思とは関係なく起きることもあります。
でもそれら全てが良い出来事になるわけではありません。誰かと出会うことで、あるいは何かが起きたことで自分が変わるきっかけが「気付き」です。
ということは、今までの「嫌な出来事」を「気付きという自分を変えるきっかけ」に高めてくれる要因が自分になければ、嫌なことが起きても気付けないと思います。チャンスは無数にあっても、自分が受けとめようとしなければ「気付き」にならないのです。
他者や環境ではなく、自分という弱点に向き合ったとき、それを克服する訓練や学びを通じて成長でき、自分の価値観が変わるのだと思います。
自分をコントロールするということは、自分を知るということです。
自分を知るということは、他者と関わるということです。関わるとは話を持ち出したり、聴いたりすることです。そしてその違いについて自分のことを考えるのです。自分の信じているものが常識ではない人と話すことで違いを知り、自分を再認識するのです。
そして自分の弱点に目を向けましょう。弱点があることはそんなに悪いことでしょうか?弱点のない完璧な人なんかいません。逆に弱点がないと周りの人達の思いやりに気づくこともできないし、助けられていることの有難さにも気付けないのです。
つまり、弱点とは成長を促してくれる宝物なのです。
視点を変えてみたときに、私たちは誰かの助けなしで生きていません。全てのことをすることができない代わりに、誰かが代わりにしてくれいているのです。
あいつのせい、この場所のせいと言い訳するよりも、これまでの自分の生き方を先ず振り返り、考え方や行動を改め、自分なりの答えを見つけ、問題解決を繰り返す中で自分なりの心構えをつくっていきましょう。
静かなところにも、騒がしいところにも魅力がある
いうことを聴くところも、反抗的な態度も相手の都合
感動は、便利と不便がワンセット
きれいも汚いも自分の中にもある
晴れと雨があるから生き物が潤い元気になる
今も昔のように手間暇かけているのかな?
他人や環境を変えようとコントロールすることは難しいのです。自分を変えてみようとコントロールするほうがとても容易く楽しいのです。
すればされるの法則。実験してみてください。
自分が優しくなれば相手も周りも優しくなる。
自分が怒りを持てば相手も周りも怒りを持つ。
自分が誠実であれば相手も周りも誠実になる。
自分が感謝すれば相手からも周りからも感謝される。
自分が横柄であれば相手も周りも横柄になる。
つまり、
優しくされたいなら、優しくしなさい。
信じてもらいたければ、信じなさい。
好かれたいなら、好きになりなさい。
感謝されたいなら、感謝しなさい。
愛されたいなら、愛しなさい。
聞いてもらいたければ、聴きなさい。ということです。
自分を曲げることは負けだ、損だと思っているうちは何も変わりません。
自分が幸せになりたいなら、相手を幸せにしなさい。
自分を良くしたいなら、他者や環境に良くしなさい。ということです。
人を変えたければ自分が変わればよいのです。なんてシンプルな法則だと思いませんか?