現代医学においても、症状や体内の生態的異常な数値を特定できない状態を不調と呼びます。
そんな生命エネルギーの不調を説明するための、3つの生理的因子が東洋医学では古来から使われています。
それが、氣(き)、血(けつ)、水(すい)です。
氣は「エネルギー」を表します。
現代的に言えば、「精神」「呼吸」「神経」でしょうか?
「精神」は感情や意識といったエネルギー、「呼吸」は外氣のエネルギー、「神経」は伝達する電気的エネルギーとして言い換えることができます。
血は「養分」を表します。
現代的に言えば、「血液」「血液循環」=「心臓」や「肝臓」でしょうか?
「血液」は赤血球や白血球、「心臓」は心臓の筋肉や血管、「肝臓」はグリコーゲンとして言い換えることができます。
水は「潤い」を表します。
現代的に言えば、「体液」「水分代謝」=「腎臓」や「消化管」でしょうか?
「体液」はリンパ液や脳脊髄液、「腎臓」は糸球体や毛細血管、「消化管」は内分泌粘膜として言い換えることができます。
日本人は氣を多用する民族です。
気にする、気になる、気を配る。
気持ちを伝える、気配を感じる、空気を読む。
負けん気、勝気、根気。
湿気(しっけ)、寒気(さむけ)、脚気(かっけ)。
気味が悪い、小気味良い、気が気じゃない。
血の気、平気、悪気、浮気。
必ず使う気という言葉。
気は〆ると弱まりますから、四方に広がる「氣」を使うと強まります。
それほど氣は身近な存在です。何も見えない場所に「何か」を感じ、「何か」を「場の雰囲気」で表現するのが日本人の特徴だと思います。
氣は、血や水に比べ軽く薄く、自然界では多く分布していて、しかもたえず動いているものなので、血や水に対して氣は目に見えず、表面的であって、軽くて、動いているイメージです。だからいつも無くなることが常であるという考え方で良いと思います。
即ちマイナス=いつも不足しがちであってかまわないのです。いつも少ないというか、動きやすい。すぐ補おうと思えば補えるもの・・・氣というものはいつも意識すればプラスになるというのが正常だと思います。つまり、過剰になりやすいのです。
気負うという言葉がありますが、焦ると気が偏るので氣の停滞「氣滞(きたい)」がおきますし、頑張る(頑なに我を張る)と氣が頭に上って氣の逆流「氣逆(きぎゃく)」がおきますし、過労や無気力で氣が滅入ると氣が減る「氣虚(ききょ)」がおきます。
氣は変化しやすいので、氣を感じること=呼吸法が重要になります。
血というのは氣と違って、身体の中に閉じて存在していますから限られた存在です。血の分量というのは限られているのです。限りがあるから、身体の方はいつも蓄積しようとします。つまり、血は濃くなりやすいのです。そして、気が付けば動かない状態になっているというのが正常です。濃ゆくなった血を薄めようと水が働きます。つまり、過少になりやすいのです。
貧血という言葉がありますが、血が薄まり不足した状態になると、不眠や目の下のクマといった酸欠状態の「血虚(けっきょ)」がおきますし、血が濃くなって滞っている状態になると、冷えや頭痛、鼻血といった循環不良の「瘀血(おけつ)」がおきます。
心つまり心構えといった日頃の物事の捉え方も大切です。
水は、氣血水のなかで、環境的な要因に影響を受けやすい存在です。例えば、暑さ寒さといった気候的ストレスや怒りや悲しみといった感情的ストレス、ジャンクフードや砂糖といった食べ物的ストレスに影響を受けます。血と同様、身体の中に閉じて存在するので限りがあるため、身体の方はいつも蓄積しようとします。つまり、水は流れにくくなりやすいのです。そして、気が付けば動かない状態になっているというのが正常です。しかも血に含まれる「塩」が水を留めます。
浮腫みという言葉がありますが、水が流れにくくなると、吹き出物や口の渇きや吐き気、関節痛といった「水滞(すいたい)」=「水毒(すいどく)」がおきます。この原因の9割は運動不足で代謝不良になるからです。
腎つまり血管力を上げることも有効です。
血や水は増えることに強く、氣は減ることに強い。そういう関係にあるのです。