人間を形作るもの・・・それは、エネルギー(氣)、養分(血)、潤い(水)となります。
2.虚実
虚とは、油断や隙間、嘘のことであり、古代医療の世界において、生氣を失ったことをいいます。生氣とは、身体にある正常なエネルギー、または正常な状態ということです。
虚は氣血水のイメージがないと理解するのが難しいです。氣とは、「精神」「呼吸」「神経」という意味があります。血とは、「血液」「血液循環」という意味があります。水とは、「体液」「水分代謝」という意味があります。
虚とは、氣の概念で考えただけでも正常でない精神、正常でない呼吸、正常でない神経の状態、つまり生氣(生命エネルギー)を弱らせていることがわかります。
実とは、用心や実体、真実のことであり、邪な外氣のことです。
邪な氣には、風邪、熱邪、湿邪、燥邪、寒邪があり、生氣(生命エネルギー)を変化させ脅かします。
実はプラス方向、虚はマイナス方向のイメージですが、人体の健康な状態とは、生命が弱っていない(虚でない)こと、生命が脅かされていない(実ではない)ことです。つまり、虚でも実でもないことが不調がないことといえます。
これを形に表すと・・・
この白と黒の勾玉と小さな円が重なった、1つの円は「陰陽太極図」になります。
この図は、森羅万象全てのものが陰と陽で出来ているという意味を表しています。
人体という人間は、実でもなく虚でもない状態であるということになります。
なぜ「陰と陽を白は白、黒は黒で真っ二つに分けないのか?」という疑問が生まれますが、この世の中は、陰と陽にはっきりと明確に分けることが出来ないです。
例えば、世の中には動く物と動かない物が存在していて、動物・植物と分けることができます。動は陽、静は陰なので、動物は陽気、植物は陰気と考えていくことができます。でも植物は動かない物なので陰ですが、育っていくので成長する状態は陽ととらえていくことができますし、他には、種が風に乗って移動するようであれば、植物事態は陰であっても種は陽と考えていくことができます。つまり、状況に応じて陰や陽に傾いているものもあるということです。
つまり、「陰か陽かどちらかに極めた完璧なものなど存在しない」という考えなのです。
光が強くなって、陽だけになるかというと、必ず影である陰も強く生まれます。
陰があることで水が蒸発せずに植物が育つことができるのです。
つまり、生命を弱らせる「虚」の氣や、生命を脅かす「実」の氣だけでなく、食物の血、つまり血がずっと蓄積され、古くなってしまった邪な実もあります。血は外邪ではありません。胃に入った飲食物から吸収され、全身をめぐっていって、身体の組織を形成しているものであり、身体の至る所に在ることが正常なものであり、それが過剰に出てくると実を起こす、という解釈ができます。
気虚はあっても気実というのはなかなかありません。気実は血虚に対してあるはずです。つまり血が少なくなるから血を増やそうとします。血を増やそうとする働きはやる氣から来ていますから、そうすると、氣がオーバーワークする。それが気実です。即ち気実は相対的なものであって、血虚に対して気実があるだけです。そこで血虚に対処すれば気実は別に対処しなくてもよいのです。副産物的な不調とは、貧血の時の高血圧と同じように「必要悪」なのです。
実のイメージついて、「かたまっている」という感じであり、「動かない」「散らせない」「閉じている」「鬱している」「渋っている」というイメージが、実であるということです。
虚のイメージというのは「無い」ということですから、「無い」ということは、「希薄」「弱々しい」「動きの減少」ということと考えてよいと思います。
まさに琉球キネシオロジーの筋肉反射は、単語形の言葉を虚実に当てはめ反応を見ます。
この無意識の虚実のイメージ(色や音や光)に対する記憶感覚が、身体に反応するのだと思います。