人間は感情を豊かに複雑にすることで、コミュニケーションで繋がり、集団で生活するという進化を選んだ生き物です。
豊かで複雑になった人間の感情は大きく分けて2つ、愛と本能があります。
そして愛と欲というこの2つの感情を満たした時に人間は幸福感を感じるのです。
「感じる」と「考える」は使う神経回路もリズムも異なります。
「考える」とは理論で行なう記憶行為であり、確認する必要があるためにゆっくりであり、情報を段階的に選択して絞り込んで情報を受け入れるために直列です。
「感じる」とは直感で行なう体験行為であり、反射で体感するために高速であり、情報を瞬時に大量に俯瞰的にまとめて受け入れるために並列です。
人が仲間と生きるうえで必要なものとして、魅力的に思うのは「正直さ」「素直さ」「純粋さ」「謙虚さ」です。なぜならこれらには愛が感じられるからです。
感情的であるけども愛の感情で生きると、自分を愛するように自分のことのように相手の事を考え、相手に感情を伝えるので、本能や知性を優先させて関係が壊れるような状況にならずにすむのです。相手のことを考えず、感情を隠せば「約束を守らず、嘘をつき、誠実でない」状況に至ります。そして互いに「軽く見て、侮辱し、認めない」状況になり共鳴が起きないのです。
そこには損得の駆け引きが生まれ、自分が正しい、相手が悪いという正義が生まれるのです。
そして、自分の感情だけにしか関心が向かず愛のないもの、つまり無関心になるのです。
相手の存在から生まれる「無視をする、無関心になる」というこの感情は、相手がいないかのように振舞う行為になります。それができるということは、ものすごく意識しているということです。無視をするのは相手が間違っているから、だから無視は正しいと正当化しているのです。
これは、思い通りにならない相手または理想ではなかった相手あるいは、自分の思いや考えが伝わらなかった相手に対する怒りに近い復讐という感情です。
相手の不幸を願いながら、自分まで不幸になっていることに気付かないのです。
そうならないためにも相手に対して「こうなければならない」という自分の物差しで図る感覚を捨てて、「正直」「素直」「純粋」「謙虚」になって、自分がこうあればいいと受け入れたときに、相手との適切な距離を保てるようになって相手を許せるのだと思います。
感情が乱れると呼吸が乱れますが、耳鳴りや皮膚の緊張が原因であることが多くあります。
不調の元となる刺激という「振動」が細胞に残り、「知覚」となって情報の混乱が起こるからです。
例えば、緩やかなテンポの音楽は青を、速いテンポの音楽は赤を、また高音は明るさを、低音は濃ゆい色を連想させます。また、女性の甲高い声を「黄色い声」と表現します。
それは高い声、低い声の若干の差はあるものの『ラ』の音であることが判明しています。
生活する感覚は、会話を起源とするもので音程という高低の変化に記憶として身体が反応しますし、リズムは脈や呼吸だけでなく生活の一部として体内に刻まれています。
音をハ長調(ド)からロ長調(シ)を声で発した時、身体に発声との共鳴が起きます。
ドはお尻に、レは下腹部に、ミはお腹に、ファは胸に、ソはのどに、ラはこめかみに、シは脳天に…
特に、互いに親しく交流する人同士は、会話の中で影響し合い模倣し合いますから、親しく交流すればするほど、その人同士がほとんど同じ習慣を獲得します。すなわちそれは個人的習慣ではなく、社会的習慣であるといっても可笑しくありません。この時、その会話というリズムやテンポ、音程や響き、余韻や間といった暗黙の感覚で各個人が交流しながら、模倣しあいます。
ですから人間として生きるには「愛」の感情を中心に生きる必要があります。