どこが不調ですか?
その不調がなくなったら、何をしたいですか?
そこが言葉に詰まるようであれば、人生の目的にエネルギーを使うことなく、「不調を治す」ことにエネルギーを使っています。つまり「過去」にエネルギーを使いすぎていることで、今という空間にしか存在できない肉体をコントロールできていません。人生の途中で起きた出来事が不調を治すというゴールになっている状態です。それは最終目標ではないのにです。
治すということは途中経過の出来事であって、それよりも大事なのは人生でやりたいことを探して実行することです。人生でしたいことは楽しいはずです。辛い苦しいことが人生でやりたいことではないはずです。本当に望んでいることを選ぶことなく、「世間的にはこれが無難」「社会的にはこっちが普通」という自分自身で作り出した制限の中から選択しているので、自分自身が望んで選択しているようにみえて、本当の自分のやりたいことは選択していないのです。
本当に望んでいることは不調を治すことではありません。なぜならただ治そうという気持ちは、自信がなくなり過去の記憶から脅かされた状態だからです。
不調は過去の記憶から生まれます。過去の記憶に嫌なものがあるはずなのに、そういう人ほど無意識に未来を避け、過去に生きるほうが無難で楽だと思っています。過去から続けてきた今までと同じほうが安心で簡単だからです。具体的に先のことを思わない、具体的に未来の計画がない、具体的に未来に関わらないということは、未知の行動、未知の体験というこれから(経験するはず)の自分を拒むことです。自由のない制限は抑圧的で不平や不満を生みますから、安心しているようでモヤモヤしたりイライラしたり、安定しているようでクヨクヨ後悔して悩んでしまうのです。
行動しなければ、理解は深まりませんし、結局は過去の「自分」のままなのです。
感情を支配しているのは実は体調というからだの変化です。
からだの変化に気づいても、こころの変化には気づけない場合が多いのです。
こころとからだは密接に繋がっています。からだを動かせば、こころも変わるのです。そして自分らしく生きるということ。目標をもって自分を表現することです。そのためにも自分という存在とは何なのかを考え、何をしたいのかを具体的に考えることが大切です。
目的が不調を治すことにある状態は、その意識や思考、目的、行動の動機も、常に止まっている状態です。今はただそのレベルにあってそのレベルが悪いというわけではありません。でも生きる上で苦しいと感じることが多いのではないでしょうか?
ここでいうレベルは、意識の水準、全体から見たときの自分を定める意識の高さを表します。
意識のレベルは「変わりたい」と思ったときは、自分の存在を肯定しています。肯定のエネルギーには心配や恐怖の倍のエネルギーポテンシャルが秘められています。
より困難なことや不確実なことが変化をもたらします。なぜなら、なによりも変化を求めるのが人間が本能レベルで持っている「本質的欲求」であり、本質的な喜びだからです。
ワクワクドキドキは人間のやりたいことなのです。成功か失敗かわからないこそワクワクドキドキします。まずは自分を知ることから始めてみましょう。