自分自身の情報に疎かになってしまうことで、不調が起こり始めていることに気が付きません。少しずつ元氣を感じられなくなっていきます。
自分自身の情報に疎かになってしまうこととは、「感じなくなる」こと。
神経系の乱れが内臓や器官と中枢神経の連絡を乱し、感情を麻痺させ、そして感覚がハッキリしないものになって、なんだか疲れる、具合が悪いとなるのです。
人の身体はミクロな世界で見てみると、細胞という「粒」の集まりです。
細胞は活動していますから、振動し揺らぎを発しています。そして細胞という細胞全て肉体そのものが組織液という体液で満たされていますから、細胞は「波」の集まりでもあります。
言い換えると物質の集合体であると同時に、周波数の集合体でもあるわけです。
周波数はデシベル(db)で表され、騒音など聞こえる音の数値として私たちは知っています。肉体の一部である脳波は測ることはできますが聴き取ることは不可能です。
もちろん心臓は血流をダイナミックに動かすため、血管や筋肉を揺らすことで聴き取るというよりも感じやすいのですが、心臓を含む全身の臓器の振動や揺らぎを聞き取ることはできないのです。
各臓器の細胞の活動は、環境の難易度や他人との関わりあいに絡む感情の起伏、起こった出来事に対する認識によって、変化します。雨が降ったりする直前の気圧の変動や気温の急激な変化など、不快な環境がからだに影響を及ぼすこと、環境の周波数の揺らぎが関係していることは周知のとおりです。それは、人間が発明した送電網システムに伴う電磁波、原子力によるγ線等の高エネルギー電磁波、さらには地面には、水脈や断層といった地球のエネルギー情報を遮断したりする場(ケガレ地)も存在します。
そういった特殊な環境の揺らぎの中で生活すると(もちろんそれだけではなく、感情や認識などからも影響を受けますが)、見た目は低酸素や低体温によって起こるミトコンドリアの機能低下が起こります。別の言い方をすると、20億年前の解糖系生命体に戻って、生き残りをはかりだすのです。ガン細胞も、低酸素や低体温で生じる酸素が要らない増殖細胞ですから、特殊な異常細胞というのではなく徹底的に先祖返りをし生き残ろうと必死に揺らいでいる細胞かもしれませんし、悪い細胞とは一概に言えないかもしれません。
つまり、機能異常と呼ばれる病気は、エネルギー不足と情報ストレスによって身体の細胞の揺らぎの乱れが起きて、肉体的神経系に不調和を生み出しているのです。ですから風水も必要になってくる場合もあるのです。
その揺らぎの伝達を素早く反応させているのはニューロンの電気信号だけではありません。
細菌の人体模型や画像もそうですがリアルで細やかに描写されています。でも、必ず描かれないものがあります。それが、細胞という細胞、肉体の全てそのものを満たしている組織液という体液です。この体液の存在が、細胞の揺らぎの伝達を可能にしてくれています。
先ほどの「細胞は振動していますから」という細胞の活動には細胞内のミトコンドリアというエネルギーを作る小器官が大きく関わっています。水から得た水素イオンと電子によって、電気勾配が生まれADPに蓄電することでATPというエネルギーを作り出します。それが間に合わない過剰な運動量の場合、細胞内の基質にある発酵に似た解糖系システムによってエネルギーをバックアップする機能があるのです。このミトコンドリア系、解糖系のエネルギーによって得た熱を細胞膜の側のミネラルを含む水の排除層が、エネルギーとして受け取り、対流を生み出し毛細血管内の赤血球の移動を促しています。つまり、エネルギーと情報は水の構造と水素電子によって支配されているのです。
元氣になるには熱を生み出すミトコンドリアを活性化しなければいけません。
そのためには良い品質の炭水化物、野菜等から微量栄養素(活性化物質)が十分摂取できないあるいは酸素が十分にないと、ミトコンドリアは正常な活動ができず、解糖系でエネルギーを産出する乳酸過多の細胞になります。その状況が続けば進化の過程で得た細胞の自然死(アポトーシス)を止めてしまい、細胞の自殺(ネクローシス)が起きやすくなります。
元氣の源「ミトコンドリア」が最も多い場所それは、心臓です。
心臓は寝ていようが起きていようがダイナミックに動き続ける臓器です。心筋細胞は一日に体重と同じくらいのエネルギー源を生産消費しています。この心臓を動かし続ける電気信号は右心房の一番上部に位置する「洞結節」からプルキンエ線維を通して筋肉に刺激を送っています。
洞結節細胞はまさに特殊で、洞結節をコントロールする器官や組織はありません。脳でさえもコントロールしていません。洞結節自身が、自発的に脱分極、再分極を繰り返します。
この洞結節こそ元氣の源です。眉間奥のこめかみ付近から目の後ろを通り、喉の奥を通っていった正中線の右鎖骨すぐ下の第二第三肋骨のあたりです。任脈の通り道でもあります。
人と向き合ったときに何かを感じる場所です。宇宙と地球が交わる場所でもあります。
元氣がなくなったら、ここを撫でながらアーシングしながら足裏から身近な地球(今)を感じて、百会から遥か彼方の宇宙(過去であり未来)を感じてください。