どうしていいのかわからないのは、どうしたいのか決めていないからです。
人は一人では生きていけません。
人が集団で暮らし、社会を営むためになくてはならないものは何でしょう?
それは、共鳴(理解)と自立(責任)です。
集団の中での共鳴とは、人と繋がることです。
考え方の異なる人を排除するため「壁」を作り、仲間内だけで「もたれかかったり、依存し合ったり、群れる」人間関係を作ることではありません。親しい関係性が壊れるのを気にするあまり自分の意志を曲げて、周囲のご機嫌をとることでもありません。
自分の意志を尊重しながら、異なる価値観をもつ他人を「理解しよう」とし、その溝を埋める作業を行っていくことが「繋がる」ことだと思います。
集団の中での自立とは、相手を理解しようとし、自分を理解しようとし、自分を信じることです。
自分の強みだけでなく、弱みを理解せずにいると自分を見失います。また相手には違う価値観があることを認めていないと自分を見失います。集団の中で自分自身を見失う事なく、自らの考えを表現していかなくては、その中で自分を活かせません。そのためには同じでない事、違っている事への恐れに対して、認識を変えなければいけません。
さらに責任や面倒が嫌だと、集団の全体意識と交わりません。
また、その中での関係性を気にするあまり自分の意志を尊重せずに、周囲に適当に合わせてしまえば、集団の全体意識を忖度し過ぎてしまい集団行動が苦手になってしまいます。そうなるとあえて自分を目立たないように意識します。
それは、自己確立が出来ていないというよりは、個としての自分を守りたいという過剰な自己防衛が故に、環境の変化に適応できずに周りと共鳴できないのです。そのズレに気づかなければ「自己中」といわれます。逆に集団に依存しがちで、素顔の自分を表現出来ず、本心とのズレや葛藤に苦しんでいるかもしれません。そのズレに気づかなければ「自己犠牲」といわれます。
転職や引越等で新しい集団に入っていく時期、特定のグループでしか素顔の自分を出せないという人は、そのグループの中で「グループに属したきっかけは何なのか?」そして「そこで何を表現したいのか?」を考え、「そこでどんな自分になりたいのか?」を明確にするべきです。