私たちは特に決済で数字を使います。
決済だけでなく、ものを覚える時にも数字が使われます。
時間、週、曜日、年、記憶を整理するときに使います。
その他にも雨の降水量も多い少ないではなく時間ごとに数値化します。
大きさや重さも大きい多いでなく数値化します。
私たちは、日常的に何気なく数字を使いますが、数字は人間が発明したものではなく、発見したものであることを知っていますか?
数字とは、数を数えることをいいますが、言い方を代えるとリズムを測ることです。
私たちの祖先は、生き残るために、住んでいる星のリズムを測ったのです。
暑さや寒さ、雨季や乾季、日照や方角を知るために目に見える星や月、太陽を使ってリズムを測って先を予測しようとしました。
月は旧暦において、新月から満月まで15日かけて満ちていき、さらに元の新月まで15日かけて欠けていきます。これを12回繰り返し、元の太陽の位置に戻る一区切りの1年と決めたのです。
つまり、360日を一区切りとしました。数えることで偶然発見したのです。
これが、円の一回転360°になりました。
そして、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒というように、回転する時の流れは基本的に3の倍数で表されます。
数学とは回転するものが、基になっているということです。
数学は宇宙の言語なのです。宇宙のどこにいても、1+2は必ず3になります。宇宙の全てがこの法則に従っています。
生物の持つ細胞は、一つのものが二つになって、二つがさらにそれぞれ二つに分かれていく特性をもっています。例えば受精卵または、種子です。これらはバイナリー(2進数)で増えていきます。祖先は必ずペア(ツガイ)であり、この世の生きとし生ける存在は、それは、バイナリーの世界です。
ここにある全ての数字は、0から9の基数だけで表すことができます。
これを「数字根(Digital Root)」といいます。
10は1+0=1、11は1+1=2、12は1+2=3・・・99は9+9=18/1+8=9、100は1+0+0=1というふうに。
バイナリーの法則
1、2、4、8、16(7)、32(5)、64(1)、128(2)、256(4)、512(8)、1024(7)、2048(5)、4096(1)、8192(2)、16384(4)、32768(8)・・・・・・
つまり、1、2、4、8、7、5、1、2、4、8、7、5、1、2・・・・・・と124875を繰り返します。
369は出てきません。
このとき、2つの相反するモノがあるとします。それを光と闇或いは磁石の北極と南極としましょう。片面が1、2、4で、もう片面が8,7,5です。これは電気と同じです。宇宙の全てが振り子のように両極間を行き来しています→1、2、4、 8、7、5、 1、2、4、 8、7、5の動きを繰り返しています。この動きは無限(∞インフィニティ)を表します。
124875とは、物質を表すコードになります。
そして、3と6は物質コードに隠れています。
1+2=3、2+4=6、4+8=12(3)、8+7=15(6)、7+5=12(3)、5+1=6、
つまり、3、6、3、6、3・・・・を繰り返します。
3と6は、物質を作り上げるコードになります。3:DNAと6:愛です。
そして、3と6の中に9があるだけでなく、物質のコードの中にも9はあります。
1+8=9、2+7=9、3+6=9、4+5=9、5+4=9、6+3=9、7+2=9、8+1=9
9はどこにでも存在するのです。
つまり、9は宇宙を表します。
0から9の基数に9を足して数字根にすることと、0を足して数字根にすることは等しくなります。
0+9=9、1+9=10、2+9=11、3+9=12、4+9=13、5+9=14、6+9=15、7+9=16、8+9=17、9+9=18
つまり、9は0でもあるということです。足さなくても9は消える。存在しているようで存在しない。目の前にあって見えないものでもあるということです。
このように、9という数字は、両面を統一する数であり、宇宙そのもなのです。振動、エネルギー、周波数=369(ミロク)なのです。
または、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10(1)、11(2)、12(3)、13(4)・・・・
という連続した数字を3つづつ足していっても、その和は、3、6、9の繰り返しになります。
おまけの補足
弥勒菩薩は、地球上で、お釈迦さまの次に仏のさとりを開くといわれている人です。
ですからまだ仏のさとりは開けていません。仏の悟りを目指して、現在、修行中です。
弥勒菩薩は、お釈迦さまが亡くなって(入滅して)から、56億7000万年後(「龍華三会の暁(りゅうげさんえのあかつき)」)に、お釈迦様に代わってこの世を救う「未来仏(みらいぶつ)」としての役割があります。
それまでの間は、兜率天(とそつてん)という浄土で、未来のことを思い、人々をどうやって浄土に迎え入れようとしようかを考えています。
このことから、弥勒菩薩は、菩薩の力と如来の力を併せ持って、人々を救ってくれると信じられています。