生物というカテゴリーには、移動しながらエネルギーを摂る動物と、移動することなくエネルギーを創る植物があります。その関係性はまさに不思議です。
動物は「呼吸」で酸素を使ってエネルギーを生産し、細胞のカスである二酸化炭素を排出します。植物は光を使って行う「光合成」で二酸化炭素を使ってエネルギー(糖)を生産し、糖のカスである酸素を排出するだけでなく、「呼吸」も行います。ただし、呼吸よりも光合成で使う二酸化炭素が多いので差し引きで二酸化炭素を吸収していることになります。
DNA遺伝子のゲノム解析が進み、人間とチンパンジーの遺伝子には、違いは1.2%しかないことがわかっています。たった1.2%の違いで、骨格が異なり、毛髪も異なり、発音や文化も異なります。この少しの違いが、脳を大きくさせ、直立にし、言葉を伝え、道具が使えるように手が器用になりました。人間とバナナの遺伝子でさえ50%は同じです。
さらに、動物にも植物にもミトコンドリアがあります。このミトコンドリアは雌の遺伝子由来で受け継がれます。動物も卵子にミトコンドリアがあり、(受精時に卵の中で分解されるので)精子にはミトコンドリアはありません。
ミトコンドリア(RNA)は母から受け継がれるのです。
ミトコンドリア(葉緑体も含む細胞小器官)は、エネルギーを作り出す点においてメリットが大きいですが、酸素と水素を使う時点で活性酸素を大量に発生させます。
ですから、不要になれば(運動不足になれば)、言い換えると循環が乱れれば、ミトコンドリア障害が原因で細胞死によってミトコンドリアを減らそうという変性=筋萎縮や崩壊、神経委縮や崩壊(植物では枯れるという現象)という細胞レベルで問題が起きます。これが病気ということではないでしょうか?
人間は赤い体液で、植物は緑色の体液です。これは補色であり互いを引き立てる効果もあり、赤の残像である緑を消すために植物は存在しているかもしれません。
緑色は可視光線スペクトルの中央にあり、最も長い波長ですが、これは強い光を手放しているということです。つまり、植物は緑色を吸収せずに反射しているということです。緑色を使わない非効率な光合成で作られる有機物のほとんどが利用されずに根から土へ排出され微生物によって二酸化炭素と水素と電子(℮-)に還っているといいます。実際は70%もロスしているという一見無駄な光合成によって私たちは余ったエネルギーを使えるのです。
植物は食べ物として、建物や道具として、燃料として、鑑賞として、薬として、もしかすると電気として、本当の意味でのパートナーであり、模範となる存在です。
人間を陽とすれば、植物は陰です。
陰陽とはこの世の全ては大きな太極(ひとつ)から成り立っていますが、陰陽図のように、陰と陽が混ざりあってできています。例えば雨と晴れ、風の凪と台風、男と女などがあり、そうやってこの世の中を構成しています。
この陰陽を生き方に言い換えてみると
まず陰とは、穏やかさ清らかさ静けさ安心感・・・
あまり目立たずに影から人を支え、調和や平和を届けるようなエネルギー=「氣」になります。
陰のエネルギーは目立たず活動的ではないですが、マイペースで周囲に心を乱されずに生きていく力を持っています。そのエネルギーによって本人も知らないうちに周りの人を影から支えていたり、調和や平和を届けていたりします。言い換えるとそうするために、他者の色んな苦しみや不安、マイナス感情なども受け止めてあげている可能性があります。
そして陽とは、明るさ楽しさ前向きさ活動力・・・
のびのびと自分を表現し、積極的に何かに挑戦するようなエネルギー=「氣」になります。
陽のエネルギーは明るさや前向きさによって、いつの間にか他のエネルギーに貢献できる力を持っています。そのエネルギーによって元氣が出てきたり、前向きにする場を作る面があります。
ただ陽のエネルギーは「目立つために」社会の中で評価されやすい傾向にあります。もしかすると、社会の中で上手く活動できたのは、知らず知らず陰のエネルギーが影から支えてくれていたからかも知れませんが。
陰が損で、陽が得であると思ったのであれば、それはそのエネルギーを持って生まれたものを否定する強いては自然そのものを否定することになります。全ては大きなチームプレーなのです。ただチームプレーということに気づいていないだけです。どういうチームプレーにしたいのか、役割が大事です。