あなたは、問題をどのように解決したいですか?
問題があってもそれを
『〇〇が人生の全てじゃない』
と言って無視しています。
あなたが抱えている問題を、あなた自身は問題にしていません。
『お金が全てじゃない』
『愛が全てじゃない』
『結婚が全てじゃない』
『勉強が全てじゃない』
『仕事が全てじゃない』
『SEXが全てじゃない』
・・・・
でも『空気が全てじゃない』と言う人はどこにもいません。
必要ですし問題になります。
ですから、お金も、愛も、結婚も、離婚も、勉強も、SEXも問題になります。
必要だから問題になるのです。
必要じゃなかったら問題にもなりません。
「〇〇が全てじゃない」という人に限って、その〇〇のために毎日毎日嫌な気持ちを押し殺しながら、思い通りでない生活の奴隷になっているのです。
それは無意識の「我慢」です。
本当にやりたいことを「我慢して」生きていくことは、苦しくありませんか?
なぜ苦しいのか?「我慢しなさい」と…誰かが言っているのです。
「我慢することは、良いことだ」と言っているのはどんな人でしょう?
本当にあなたを思って言っているでしょうか?
言っている人はあなたをコントロールしたいだけです。なぜなら、言うことを聞かせるため、ロボットで居させるため、奴隷にするためだからです!
親が「我慢した子供」を褒めるのは、親の都合に合わせて子供が行動してくれたから、褒めているだけです。努力工夫することと、我慢することは、全く意味が異なります。
「我慢しなさい!」と言っているのは親かも知れないし、パートナーかもしれないし、上司かもしれない。一番そうさせているのは、あなた自身かもしれないのです。
努力したら良いことはありますが、我慢していいことなんて一つもないのです。
我慢しなくても悪いことはおきません。我慢しても良いことはおこらないのです。
あなたが我慢することで、得する誰かがいるだけです。
やりたいことは気付いたらやっているはずです。
『我慢する』ことは誰かに強制されてすることではありません。
我慢していると感じたら、やりたくないことをしてるということです。
自分でやりたいと決めたこと以外のことをやっていませんか?
自分がやりたくないことをやり続けて、人生を過ごすなんて実に馬鹿げたことです。
やりたくもないことに人生を費やして生き続けると、自分が我慢して経験してきた生き方しか教えられないので、子供にも同じような我慢の仕方を教え、先祖代々の「我慢」を受け継がせてしまいます。そうすることで自分の人生を肯定して満足しようとしているのです。
嫌だと心のどこかで思っているのに、いつまでたってもその感情を吐き出せない状態でいるのにです。
無意識の問題そのものは、実は自分が望む経験すべきことです。
ですから、「自分が何を望んでいるのか?」そのことについて、毎日感じながら取り組むことが大切です。
そして、無意識の根っこにある問題は、自分にあることを自覚しましょう。
相手にはないのです。
なぜなら、相手の感情や行動をコントロールしようとすることは不可能だからです。できないことをコントロールしようとするから不安になって苦しくなるのです。
相手をコントロールするのではなく、「理解する」ことです。
誰かと行動を共にしたり、生活をしないといけない場合、調和がとれていないと、「理解がない」ので、協力してやるべき作業が遅れたり、家族や相手の方向性と進捗を乱してしまうことが問題になります。
「理解する」とは、言い方や雰囲気や仕草だけを見ただけで決め付ける、ただの思い込みや信じ込みという妄想にならないように、相手と会話をし、コミュニケーションを図り、どれだけ解決方法を話し合うかです。
お互いの問題を話し合って「理解」し、共通のリズムを作れなくては調和は生まれませんし、相手を理解することで生まれる「反作用」の自分を理解することに至ることができません。
相手を受け入れるということは、自分の問題や行動を解決するために相手にそれを伝え、話し合い、解決方法を生み出し、「共有する」ことです。