日本人ほど気を多用する民族はいないでしょう。
気違い、幼気な(いたいけな)、気質(かたぎ)、内気、色気、呆気(あっけ)、怖気ずく(おじけずく)、運気、英気、湿気、気温、浮気、空気、気圧、気合い、嫌気(いやけ)、大気、気概、健気(けなげ)、人気、弱気、強気、湯気(ゆげ)、寒気(さむけ)、若気の(わかげの)、気障(きざ)、活気(かっき)、換気、気前が(きまえが)、気色(きしょく)、気分、景気、殺気、電気、意気地、生意気、水蒸気、不気味、静電気など挙げればきりがありません。
人は、目に見えるものにだけ意識が向いて、見ているものにこころが囚われてしまうときがあります。目に見えないものが、見える形になっているのに無視していて、そこには見えているものよりも大切なことが多いのではないのかなと思います。
「気」は見えませんが、「気配り」という形で見えます。
「こころ」も見えませんが、「こころ遣い」は見えます。
「思いや考え」も見えませんが、「思いやり」という形で見ることができるのです。
これらは、エネルギーです。
見えるものには実体があり、物質といいます。見えるもの「物質」は姿形という共通認識があります。
見えないものには実用があり、機能といいます。見えないもの「機能」は働き自己認識があります。自己認識は自分の内側で完結しているものです。ですので感覚や感性と繋がっています。
石ころは硬い鉱物ですが、重さを認識すれば漬物石に、形を認識すれば庭石や置物になります。何も感じなければ、道端にあるただの石ころです。
相手を思うことで相手の見せたいものが、場にあることを感じて気づくのです。相手を思わなければ、気づくことはありません。
世の中のすべての存在を知ることは不可能です。そして一生知らないものもあり続けます。「知らない」からこそ芽生えるのが「好奇心」であり、できないからこそ挑戦することができます。
すべてを知って、できてしまったら退屈だと思いませんか?「知らない」「できない」からこそ知りたくなって出来るようになり、その過程で生きていることを感じることができるのです。
それこそが「体験」と「創造」です。それこそが人生で一番やりたかったことではないでしょうか?足りない自分を探し、満たしていくために実行していくことが人生そのものだと思います。
そのためにも「気」を感じて、「気」を使い、「場」を良くすることが大切です。