多くの情報があふれる中、私たちは情報に迷ったり、あるいは騙されることがあります。
──とある国は「あの国のテロ行為は許さない」とあの国を無差別に攻撃する。こちら側の被害を減らすためには停戦などできないと自国を正当化し、とある国の同盟国や支持国もとある国を支持するように公の場で訴えている。──
ここで切り取られているのは、被害国のいうところのテロという言葉です。テロとは「何かの目的のために一般市民を巻きこむ」殺戮行為です。被害国が「加害国のテロ行為は許さない」と加害国を攻撃する報道に騙されていませんか?とある国のある国への攻撃は一般市民を巻き込んだ殺戮行為ではないのですか?
「われわれは戦争をしたくない」
「しかし敵が一方的に戦争を望んだ」
「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
「われわれの大義は神聖なものである」
「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
ここでの問題は私たちが倫理観として持っている「正義」です。
誰かが誰かを殺したとき、殺した相手は悪者で、殺された相手は善者である。相手は悪であり、我々は正義であると。
正義とは、そもそも立ち位置が異なるのに相手と”比較”し、善い悪いと自分の尺度で”分離”し、否定と拒絶の壁を作り出すことです。
情報化社会は「分離」と「孤立」がテーマです。
知りたい情報を特定し、「分離」し、デバイスに「孤立」させて操作します。そのことによって判明する仕組み原理もたくさんあります。が、大衆を操作するために情報を「分離」して、ある特定の地域に「孤立」させて人々の感情を操作します。
有名な例がナイラ証言です。
アメリカの公聴会でクェートの少女がクウェートの病院にボランティアで行ったという話をします。そこで彼女が見たイラク軍のひどい仕打ちの目撃証言をしているという内容です。そして、彼女が何を泣きながら証言しているかというと、「病院にいたらイラク軍が侵入してきて、赤ちゃんたちが入っていた保育器から、赤ちゃんを一人ずつ床に投げ捨てて殺している」ということを証言しています。当然この話を聞いて、よい気持ちの人は誰もいません。ものすごく、とてもエモーショナルに世論をかき立て湾岸戦争へ突入しました。
ところが戦争終了後、しばらくしてメディアがスクープを発表します。どういうスクープかというと、ナイラが本当は誰だったかという話です。実は、彼女はアメリカにあるクウェート大使館の大使の娘でした。彼女はアメリカで育ち、クウェートに一度も行ったことはなかったのです。つまり、完全なる嘘の証言だったのです。
では、なぜ15歳のナイラがそんなことを話すのか。当たり前ですが、彼女の本意ではありません。ここに絡んでいたのが、ヒル&ノールトンという世界的にも有名な広告代理店です。この会社がつくったシナリオの配役として、ナイラが選ばれたのです。
なぜアメリカの広告代理店がこんな演出をするのかという疑問が残ります。彼らの依頼主は誰かというと、クウェートにあるNGOからの依頼でした。「イラクとクェートとの間にアメリカが軍事介入するように世論を高めてほしい」という依頼があったのです。ちなみに、このNGOはクウェート政府から出資を受けたNGOです。
つまり、実質的にはクウェート政府からの依頼でした。その演出の場を提供したのはアメリカ政府なのですが・・・
さらにはイラクのサダムフセインの処刑です。
アメリカ政府が介入した湾岸戦争後、アメリカ特殊部隊によって拘束され、アメリカ主導で行われたイラク新憲法のもと、クェート侵攻、(結局見つからなかった)アメリカが軍事介入の理由にした大量破壊兵器の製造、大量虐殺などの罪でアメリカに任命されたイラク政府によって処刑されました。
イラクがクェートともめたのは、フセインが原油を金で売る米ドルで売らないといったことが発端です。親米国のクェートが原油を薄利多売し、イラクの油田を盗掘したことが原因と言われています。
リビアのカダフィもアメリカによって暗殺されました。カダフィはユーロのようにアフリカ統一通貨をつくろうとしたことが発端です。また国連でウィルスはワクチンを売るために作られたものだと訴え、アラブ連盟においてフセインの無実を訴えました。
この二人はアメリカにとって都合の悪い悪者であり、国の代表や著名人から発信される情報によって、今のロシアに対するそれのように、国際社会を誘導し「この者に制裁を」の大合唱となり、多国籍軍が派遣され、戦争というテロへと突入していったのです。こういった宣伝活動をプロパガンダといいますが、こういう活動の裏には宣伝する国の経済活動が絡んでいます。
インターネット上の情報において著名人の発言は経済活動そのものだといっても過言ではありません。湾岸戦争においてアメリカの「大量破壊兵器」が存在するという情報はイラクに軍事介入する捏造だったのです。アメリカ先住民との戦争、南北戦争、原爆、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、アメリカこそテロ行為を行い続けている国ではないかと思うのは私だけでしょうか?
親米と反米の国がある中で、「正義」というワードがでてくるとき、それには嘘が隠れていることを知ってください。
正義の反対は悪ではありません。愛です。
愛とは分け隔てなく、すべてを受け入れ、包み込み満たし許すことです。
本来正義はなく、善であるべきです。善とは全方向、全てに役立つということ。つまり巡り巡って役立つということです。役とは境遇であり、境遇とは、変化を起こす出会いです。出会いを縁起といい、縁という繋がりや関係性が生まれる(起きる)ことです。
つまり役に立つということは、変化を起こす出会いが生まれることです。
情報に迷ったら、そこに愛があるのか考えてみてください。