私たちは、日々掃除をする機会があります。
掃除をしないと空気がよどみ、埃がたまるだけでなく、また次使うための心の準備がなくなるので、しなくなればしなくなるほど、心が乱れ荒みます。
心が荒んでいくと、感謝の気持ちを忘れていきます。
心の荒みは、行動の乱れを起こし、余裕がなくなり、周囲にもその荒みをまき散らしていき、結果コミュニケーションが低下するのです。
現実に目を向けず、自分がいる空間を乱していると、心がお座なりになっていき、今の心を感じられなくなりマヒするので、自分を誤魔化したり、心に正直になれずに自分に嘘をついたりしていくのです。
「荒んでいる」の語源は凄まじいから来ていて、恐怖を覚えるほどのひどい様子を指す言葉です。
いつも寝る布団を畳まなくても、そこで寝るのは自分。
埃の中で深い睡眠をするのも自分。
その中で荒んでいくのも自分。
整理することは次使いやすくするための区切りです。
区切るとは終わることではありません。
境目、目印を付けることです。
別の意味では始末を付けるともいいます。
始末とは、始まりと終わりです。
この終わりとは最期という意味でなく、仕切りのことです。
どこが始まりでどこが終わりなのか区切ることができなければ、延々と力みっぱなしになって緊張がとれず心休まることがありません。後回しにすればするほど荒んでいくのです。
自分を変えようと夢や希望を語りますが、身近な暮らしの中のことができないのに、どうして人生の目標が達成できるのでしょう?
私たちの暮らしは生き方そのものです。
粗雑で乱暴な生き方は自分自身のからだや心を痛めてしまいます。心が痛めば日常に発見という感謝が芽生えず、色あせた不平不満が芽生えます。
自分への感謝と出会いを忘れてしまうことこそ不幸の始まりです。
掃除をすることで大脳新皮質が活性化します。
掃除の後に訪れる爽快感はなんとも言えない良い気持ちです。裏を返すと、していない状態には不快感が無意識にあるという事です。
一つ一つ片付けて次の準備をする。
ただ自分に出来ることを考えて、偶然を楽しむのです。
言い訳を積み重ねないことが、心を軽くする準備運動になります。
情報から離れることもよいでしょう。テレビを見ない日や、スマホを触らない時間帯を作ると他の必要な情報が入ってきます。
いつも丁寧に片付けて心を整える。
空間にあるのはモノだけではありません。人や生き物も含みます。
ペットも毛づくろいや下の世話をすると喜びを体で表現しますし、なにより健康なペットを感じて自分が癒されたり、優しい気持ちになれます。
また、汚れた部屋に招きいれて相手に受け入れてもらうことが、ありのままの自分を見せることではありません。相手のために花を飾り、美味しいものを出すという「礼節」を受け入れてもらうのです。ただ誰からも好かれようと思わないことも大切です。それはただの八方美人という仮面をつけた偽りの自分です。あなたを嫌っている相手に「好き」になってもらう必要はないのです。
そして不要なものを持ち続けないこと。
何か新しいものを始めようとすれば、どうしても散らかってしまうものです。整っていなければ散らかることも出来ませんから、あらゆることを片付けて要らないものを捨てることです。そして、新しいことを始めましょう!
心を澄まし、心を慎み、心をからだと調和すること、それが大切です。
視点が上がれば上がるほど、今まで興味があったものには興味がなくなっていきます。
視点を高めていくには、目に見える世界の依存から離れ、目に見えない世界を体験することを実践してみることです。