自己優先には2通りあります。
自分本位と自己中。
自分本位の人は、人とちゃんと繋がっている人で、安心感があることで自分の考えを行動にする人、自分をコントロールしようとする人です。自己中の人は人と繋がることに興味がなく、相手の価値観を尊重できないただただ自分の価値観で生きたい人、他人をコントロールしようとする人です。
子供は泣いて親に世話をさせます。この行為そのものは他人をコントロールしようとする被害者的「自己中」です。こういう子供には客観的な視点がなく、自分と価値観や考えの異なる他人が存在していることを理解できない状態にあります。言い換えると自分のために他人は動いてくれると思っています。これは自分の価値観=他人の価値観自体をまだ経験していないからです。特に赤ん坊は自分では何もできないので、泣くことで育ててもらうのです。これが親の無償の愛です。
社会に出たとき、みんな自分と同じ考えのはずだと思っていると他人の行動に目が行きやすく、比べたり批判したりします。任せるべき仕事を自分でやったほうが早いからと他人に任せることができず、自分の思い通りにいかないと捻くれたり感情を爆発させたり、相手の悪口陰口を言い自分に都合の悪いことはすぐに忘れる、損得だけで行動し、会話を自分のペースで進めたいから人の話を聞かない、人は許さないのに自分は許すというように自分と他人への態度がわかりやすく変化する人がいます。つまり客観的な視点がなく、自分と価値観や考えの違う他人が存在していることを理解できていない状態です。まるで大きな赤ちゃんです。
どちらも自分の内側の「こうしたい!」と言う欲求を中心に生きている点は同じですが、自己中の人は「周りの人にも自分と同じように一緒に動いてもらって当然だ」と考えます。これは周りが自分の考え方や価値観に合わせるべきという価値観を相手に押し付けています。
自分本位の人は「しなさい」とか「なぜできないの」といいません。自分本位の人は「こうしたい!」と思ったことを「自分の行動で実現していこう」と考えます。自分の考えや価値観を相手に押し付けるのではなく、相手の価値観や考えも考えながら一緒に実現します。
分かっていないことが悪いのではなく、分かっていることが素晴らしいのです。
分からない人分かってくれない人を責めると、別のことで「分かっていない自分」に出会った時、同じように責めることになります。もっと言うと、自分を責めることを避けたいがために「分かっていない自分」を認識しにくくしているのです。
認識とは、気づきです。
「ああ、私はこういうことに嫌悪するんだ」
「この嫌だと感じている面が私の中にあるんだ」
と、ただ気づく。これが大事です。
嫌悪感に気づいたら、今度はそこに自分の中の何を見ているか考えてみましょう。
「本当は自分がのんびりしたいのに、のんびりご飯を食べているアイツにイラつく」とか「本当は自分が自由に好きなことをやりたい。だから自分勝手な奴らを見てムカつく」とか。
そういう気づきを重ねていくと、自分が何を欲しているか、何を求めているか、自分の本当の気持ちを知ることができます。これが「投影」です。
そして自分の気持ちや心に耳を傾けて解消してあげることで、相手の気持ちがわからなくても自分の気持ちに気づくことでイライラしていることに納得できるのです。
決して自分を責めたり自己嫌悪にならなくていいんです。
一人の時は夢中になったり熱中しても良いでしょう。でも情報や空間を共有しているあるいは共同作業中に自分だけ夢中になっていないか熱中していないか周りを見ながら状況を確認し、自分は登場人物の一人ではなく、客観的に自分だけが映し出して見えている世界を実行していると「自分と他人の切り分けができているかどうか」を考えましょう。
例えば、「親の言うことを聞かずに、就職先を決める」と考えている人が「自分って自己中かな?」と思うことがあるかもしれません。親の希望を無視している状態なので、そう思ってしまうのも無理はありません。でも親は自分ではありませんから、もし親の言うことに従うというのであればそれは親が自己中です。
親も「子供のためを思って」と考えているとしても、自分の考えが子供にとっても正しいと言う前提に立っている時点で自己中です。子供を自分と同じ考えを持った人間だと考えて、行動をコントロールしようとしています。ここで親の言葉に従ってしまうと、親は「自分の子供はコントロールできる」と感じてさらに自己中な状態になっていきます。従った子供も、自分で決めることができない自分の価値観や考え方を深めること広げることができなくなり、そんな自己中な親に依存的になってしまう「他人本位の状態」になってしまいます。自己中なエネルギーは他人本位なエネルギーを生み出す力があります。この考えが難しいと思うのならば、自分の幸せと同じぐらい、他人の幸せも考えることで楽になります。自分の幸せだけを考えるということが自己中だと思ってしまう方は、半分を自分の幸せに、残り半分を他人の幸せとセットにしてまずは考えてみるとよいでしょう。
周りの目を気にして空気ばかり読んで生きている状態を他人本位といいます。
自分のやりたいことを中心に生きている状態を自分本位といいます。
自分本位で生きるには、他人本位から抜け出す必要があります。まず自己理解を深め「自分がどう生きたいのか」をできるだけ具体的にするしかありません。人の行動は「より具体的な考え」に流れます。具体的な考えは何も迷うことなく行動できるからです。
「明日は頑張ろう」と抽象的に考えていても不明確すぎて何をすればいいのかわからなくなって誘惑に負けてしまいます。例えば「朝6時に起きてこの本を20ページ読む」というふうに具体的な行動を意識することができていれば、誘惑にも勝てるかもしれません。
また、親を含め他人との繋がりが上手くいっていないことで自分本位になれず、自分本位になることは「それって自己中ではないの?」と不安になってしまうこともあります。人と繋がっていない、人と繋がるのが怖い。または人嫌い。自分をさらけ出したくない。でも繋がっていないことが不安で怖い。でも繋がれないのです。
繋がれない状態でいると相手が何を考え感じているのかわからず、自分をどう思っているのだろう?何をしてほしいのだろう?(こうして思い込みが生まれ)あれこれ考えていくうちに、自分はどうしたいのかではなく、相手が心地よくいられることばかりを考えてしまうのです。これがエネルギーを相手に差し出す他人本位の生き方です。
抜け出せない状態とは、「自分を信じていない」状態です。自分を見失っているのです。自分を見失わないために船の碇のような自分が持つ強み(個性)=自分で思う短所かもしれないし、他人から見れば長所に見えるかもしれません。そういう個性というものを見つけ出し、心に留めておくことです。
他人の言葉や態度で自信を持ってはいけませんし、相手にそうしてはいけません。お金を持っていることやきれいに着飾ることで他人から賞賛を得ているのであれば、そうでなくなった時自分の価値を見出せなくなります。そしてその恐怖から常に背伸びをして頑張っていかなければいけません。
習慣とは居心地の良い『枠』です。
これは過去の生き方を模倣することが基本になります。この習慣を身に着けることで、安心するのです。その過去の生き方を続けることで未知の経験を拒みます。不調の原因はこころ(意識)と人生(無意識)の不一致です。思い込み(意識)と身体が感じていること(無意識)の不一致です。経験するはずの未知の行動、経験をするはずの自分自身を拒むということです。結局は過去の自分のままで生きるということです。
変わりたいのならば、慣れた『枠』を捨てて、新しい『枠』をつくる必要があります。
自分の強みとは、努力して手に入れるものではなく、すでに持っているもの、自分を特徴づける強みです。なぜを繰り返して最終的に見つけることができる自分のコアにあるものです。
それは世間の常識に当てはめるものではなく、自分だけのものです。
それを軸にして生きることで自分に自信を持てるようになり、生活や仕事で生かすことができることで安心を得られ、自分本位に生きることができます。