どうしたら病気を治せるのか?を考える前に、なぜ病気になるのかを考えると分かりやすいです。
病気というよりも生き死にで考えるともっと簡単です。
死んでいる人は息をしていませんし、脈がありません。
生きている人は息をしていますし、脈があります。
自分にとって多すぎる脈は、呼吸が乱れている証拠です。
自分にとって少なすぎる脈も呼吸が乱れている証拠です。
次に血が流れているか、さらに血が十分あるかです。
①細胞や血液、ホルモンや微生物という物質の観点から考えてみます。
細胞よりさらに小さいレベルの遺伝子、遺伝子を構成している元素、元素を構成している素粒子は、こうしてる今も素粒子レベルで活動しています。
これらは全て、体液(血液・リンパ液・脳脊髄液)を通してお互いの情報を共有しお互いの関係を保っていますが、微小循環という毛細動脈と毛細静脈が交わる細胞がある場所での流れが悪くなると、からだが冷えたり硬くなったりします。
からだにとって大切なのは、必要なものを必要としているところに届け、そこが毒だとする不要なものを引き受ける存在が必ず必要であり、その体液の循環が機能しなくなることです。
このアンバランスは、お互いの情報を共有する場所に、障害という澱みや固さが生じることから起こります。そして情報が上手く伝わらず互いの意思疎通不全で機能しなくなるのです。
つまり物質の観点で見た病気の原因は、体液の循環不良=血流障害です。
ですから、からだが温まらないシャワーで済ましたり、水分補給を水以外でしたり、水分を摂らなかったり、気分障害がおきたり、無呼吸になったり、糖質を過剰に摂取してしまうとそれが血流障害となり、歪みが元に戻る邪魔をしてしまうのです。
②神経という精神や記憶という情報の観点から考えてみます。
人は生まれながらに健全であり、穏やかです。
日々の様々な体験に感じ、それが経験に結び付いた感情になり、認知となって記憶します。
全ての情報が機能しないと、即それは死を意味します。つまり、自分を守るために機能しない情報から機能している情報を守るためにその伝達を遮断するのです。
例えば、車の事故にあったとします。そのとき、物理学的にはからだがバラバラになるほどの衝撃を受けます。しかしからだ全体を守るため、死なないために、その衝突の瞬間に健全が歪みを作り出し、そこに衝突のエネルギーを集中させて吸収させます。簡単に言うと、すぐ死に至らないように病気になるのです。それが健全から作り出された感情であり、歪みであり、痛みであり、問題であるのです。
生き死にに関係なく情緒不安になると、神経は興奮状態になり、「逃げる」「立ち向かう」「凍りつく(いきむ)」という反応が生まれます。本来ならば、歪みを無くすためのエネルギーを解放するために震える、泣き叫ぶ、身震いする必要があります。でもそれをやり損ねてしまうのです。
赤ちゃんのように泣き叫んだり、震えたりするのは恥ずかしい。感情を引き受け歪んだ場所が元に戻ろうとするための素直、純粋、正直、謙虚な気持ちで行なう感情の解放。それが機能しなくなることです。
つまり情報の観点で見た病気の原因は、記憶の歪み=感情の消化不良です。
ですから、尻もちをついたり、転んだ人のエネルギーの解放が起こる前にすぐ引き起こしたり、助け起こしたりしてしまうとそれが体内に残存し、歪みが元に戻る邪魔をしてしまうのです。
乱れた歪みにエネルギーを与えると一時的には回復しますが、初動で解放できなかった歪みにさらに積もったような歪みも加わるので、エネルギーの急激な変化はからだに吸収・統合されません。手術だろうが、施術だろうが、投薬だろうが、それは急激な変化を落ち着かせるための行為でしかないことに気付くべきです。切ったり、つなぎ合わせたりしますが、そこから回復し治すのは(健全に導くのは)結局自分自身なのです。
「血流障害」と「感情の解放ができない消化不良」を抱えたまま過ごせば、「からだ」と「こころ」が病むということを理解できると思います。
例えば、コップの重さは大したものではありません。
でも、一時間もコップを持ち続けると、腕に痛みを感じます。
さらに我慢して、一日持っていれば腕はしびれ、感覚が無くなります。
コップの重さではなく、持つ時間が問題なのです。ストレスや心配ごとも、このコップのように些細なものなのです。
抱えているのが少しの間であれば何も起こりません。持つ続けることでそれは痛みを伴ってきます。四六時中抱えていれば、やがて無力感に襲われ、何もやる気が起こらなくなってきます。
いつでも、コップを置くことを忘れないことが大切なのです。
結局病気は、健全から生み出されます(つまり切り離されます)。つまり健康そのものは病気の源といっても過言ではないと思います。ですから、調子が悪い時、バランスが悪い時は焦らずに慎重になることです。
血流障害や感情の消化不良になったとき、自律神経を使って全身の活動が阻害されない状態を出来るだけ長く保とうとしますので、小康状態と不安定な状態を繰り返し、急性から慢性化して乱れたりします。
つまり、日頃の「自分に厳しすぎる生き方」「自分に寛容すぎる生き方」が自律神経に影響を与え、自然に治す力を抑え込んでいます。
【厳しすぎる生き方】
人が良すぎて忙しさに巻き込まれる人、真面目すぎて無理をする人、責任感が強すぎて休めない人、いつまでも悩みを抱えて苦悩する人はそのキツイ状態を乗り切るために、頻脈になり、血圧を上げ、血糖も上げるという特殊な生き方になっていきます。
交感神経支配で活発になる顆粒球が細菌に対して過剰に反応し、膿や血がでる病気(歯周病・胃潰瘍・腎盂炎・血尿・蛋白尿・ネフローゼ・水虫・ニキビ・前立腺炎・虫垂炎・子宮内膜症・痔)を生み、その回復、細胞のサイクルを早め修復を急がせるため、病気を抑えるために細胞分裂を抑えているミトコンドリアを切り捨てるという防御的な(陽から陰へ働く)生体反応を引き起こします。必然的にリンパ球の働きが不活性化しますので、ウィルス抵抗性の免疫力が低下して風邪やインフルエンザなどのウィルス性感染症にかかりやすくなります。
【寛容すぎる生き方】
消化管が炎症を起こしている人、絶えず消化管が働いている人、運動不足の人、楽を好む人はそのユルんだ状態から、貧脈になり、血圧が下がり、(食べ物で)血糖は上がるという特殊な生き方になっていきます。
副交感神経支配で活発になるリンパ球がウィルスを含む自己細胞に対して過剰に反応し、壊死や破壊の病気(内耳の突発性難聴・メニエール・赤色発疹・リューマチ・甲状腺などの内分泌腺異常・肝硬変・糖尿病・肺線腫・睡眠障害・花粉症・アトピー)を生み、その回復、細胞の排毒のサイクルを早める免疫異常が起こるため、細胞を自ら破壊し、取り除こうとする攻撃的な(陰から陽へ働く)生体反応を引き起こします。
ですから忙しさも危険、楽も危険ということです。ほどよい生き方が健康に生きる基本となります。からだの代謝機能には、使いすぎると炎症をおこして崩壊し、使わないと刺激低下をおこして衰えるという現象があります。使い方がほどよいときのみ機能が発達していくのです。
ほどよい生き方とは、素直、純粋、正直、謙虚になり気分を落ち着かせ、血流を改善するためにからだを温め、リンパの溜り場の関節…特に仙骨を適度に動かし、水分を十分に摂り、食事を制限すること、それが病気にならないシンプルでお金もかからない方法です。