人生は誰かのためのものではありません。
ですから好きなように好きなことをすればよい。
或る者は「利益を追求するために」
或る者は「社会に貢献するために」
或る者は「地位権力を得るために」
或る者は「体裁を整えるために」
或る者は「良い情報を広めるために」
行動を共にするグループの目的が異なる者同士だった時、同じ「場」で最大公約数である「目的」をリーダーが何にするかによって行き先が変わってしまい、無理をする者が表れます。意識レベルの低いエネルギーに合わせることで、その低いエネルギーは気付かずに報われますが合わせたエネルギーは疲弊します。合わせなければその低い意識レベルはそのエネルギーの差を強く感じてしまい、卑屈になります。
ですから、無理をしてくれる者のお陰であるのにも関わらず、その無理をした者は気付かれることなく感謝されることがありませんから、苦しめてやりたい気持ちが自分を苦しめます。
なぜ意識レベルの低いエネルギーは、気づけないのかという理由は2つあります。
1つ目は、経験が少ないので『憶測という思い込みの中で考える』からです。
さらに、他人より優れていると勘違いした場合です。
- 世間とはこういうものだ
- 仕事はこうだ
- 社会はこうあるべきだ
- 私はこういう人だ
- 私はこうでなければならない
- 私はこうしないと幸福になれない
こういう意識レベルの人は、水道の水にさえ感激したことはないのです。
蛇口を捻ればいつでも出てくると思っていれば、そこに感動も感激も感謝もありません。
2つ目は、『何かができることを「当たり前」だと思っている』からです。
・身体が自由に動くことを「当たり前」だと思っていませんか?
・毎日住む家があって、食事できることを「当たり前」だと思っていませんか?
・親が自分を養ってくれること(くれたこと)を「当たり前」だと思っていませんか?
・家族が平穏無事に生きていることを「当たり前」だと思っていませんか?
・経験もないのに好きなようにできることを「当たり前」だと思っていませんか?
・病気やケガを誰かが治してくれるのを「当たり前」だと思っていませんか?
・乗り物に乗ってどこにでも行けることを「当たり前」だと思っていませんか?
・空気を無料で吸えることを「当たり前」だと思っていませんか?
・数十億の中から 生まれる人との出逢いを「当たり前」だと思っていませんか?
・人間としてに生まれてきたことを「当たり前」だと思っていませんか?
「当たり前」という当然の気持ちの反対は「ありがとう」という感謝の気持ちです。
ありがとうとは有り難し、在ることが難しいという意味です。
「ありがとうございます」と口にしますが、ありがとうを発音しているだけです。
感謝を忘れるとなんでも当たり前と思うようになり、考えがマヒして心が荒みます。
「荒んでいる」の語源は「凄まじい」から来ていて、恐怖を覚えるほどのひどい様子を指す言葉です。心の荒みは、行動の乱れを起こし、余裕がなくなり、周囲にもその荒みをまき散らしていき、結果コミュニケーションが低下するのです。
心が荒めば日常の些細な変化に気づくという感動が芽生えず、不平不満が芽生えます。
自分の恥ずかしいことなど他人にしてみればただの忘却の一コマなのに、どうせ自分なんてと自分を卑下してしまいます。
経験も浅いので、身近な暮らしのことができてないことにも気づきません。
自分を変えようと夢や希望を語りますが、身近な暮らしの中のことができないのに、どうして人生の目標が達成できるのでしょう?
身近な暮らしのこととは、情報の整理、物質の整理です。
片づけること。要らないなら捨てる。要るなら大事にする。
そして集中すること。それは「やりたいの最上級」で大切にできるもの。
そして磨くということです。それは「どうにか成るもの」。
そして、それは丁寧に行き届いた良いものになるのです。
「あれさえあれば幸せになれる」と考えている人は、「あれ」が手に入っても幸せになれません。
なぜなら自分が幸せになれない原因を「あれ」のせいにしているからです。
「あれ」はやりたいことの最上級でもなく、磨きたいものでもなく、丁寧に行き届いたものにもなっていないからです。自分でものにしていないので、愛着も真剣身もないのです。
自分でものにするということは、そこに「命を懸ける」ということです。
与えられただけのものには、経験値はありません。
見栄や優位は自分を偽る生き方です。
グループで最も大事なのは、やりたいことの共通点を見つけ、話し合いそれに向かって行動し、その良くなっていく存在に感謝することです。
人として魅力的に思うのは
「正直さ」
「純粋さ」
「謙虚さ」
「素直さ」
です。これらには「愛」が感じられます。
でも
「約束を守らない」
「嘘をつく」
「誠実でない」
「侮辱する」
「捻くれる」
こんな人に魅力は感じませんし、一緒に同じ時間を共有しようとは思いません。