私の思考や学びの基準となっている言葉があります。
私がメンターとして尊敬している「ある方」からいただいた言葉です。
「この世に絶対はない」
この言葉を基準に物事を捉えると、様々な視点が生まれます。
私にとって、この言葉には2つの意味があります。
一つは、極端に偏ってはいけないという意味です。
この世は相対性であり、そのバランスで多様性が生まれます。光と闇があるように、分かりやすく言い換えれば、アクセルがなければ進むことができませんし、ブレーキがなければ止まることはできません。この相対するものがバランスをとって初めて様々な現象が起きるのです。
思考も嗜好も志向も偏っていては、見えなくなることがあるということです。
個人主義も全体主義も偏り過ぎれば不幸しかありません。
もう一つは、確定していないという意味です。
この現実は混沌であり、絶えず運不運の可能性を秘めた状態で目の前にあるという意味です。
そして、その混沌の奥底には、あなたがまだ知らない深い意味と必然が息を殺して身を潜めています。それはあなたのこれまでの人生で経験してきたもの全てと結びついています。今の人生だけでなく、はるか昔あなたの記憶にない、はるか彼方の過去とも繋がっているのです。
当たり前のように生きている自分。
ごく自然に繰り返される日常。
平穏に続く毎日が混沌であるといわれても理解できないかもしれません。
でも明日も平穏が続くでしょうか?いつどんな試練や事故がやってくるか分からない、何事もないように見えて一寸先は闇というのが、私たちの住んでいる世界なのではないでしょうか?
「この世に絶対はない」
形あるものはいつか壊れ、そして傷つく。
これが私たちの住む世界なのです。
次から次に出会いがあり、出来事が絶え間なく起こります。
半世紀以上生きてこられた方ならば、既に数え切れない夜空の星々の数の経験をしているはずです。その数多の出会いや出来事は、一見何の脈絡もなく、たまたま自分がそこに居合わせただけのように感じます。
ただ振り返ってみて始めて、「あのことがあったから今の自分がいるのだ」「あの出会いが自分を導いてくれたのだ」「脈絡のない出来事が一本の道のようにつながっていたんだ」と思える人は少なくないはずです。
皆さんが体験してきた無数の出会いと出来事は、どのようなものだったでしょうか?
宿命ともいえる生まれ育ちの中にあった条件と、そこから生まれた試練と挑戦、日々もたらされた現実、そこにどんな希望と失意が生まれ、そこからどんな歩みが始まったのでしょうか?
大事なことは、一人一人の存在を紡いできた事実の一つ『繋がり』が1つでも欠けたとしたら、今と同じ「私」にはならなかったということです。自分が自分になるには、上手くいったことも失敗したことも、運も不運も、好きな人も苦手な人もその全てが必要だったということです。
私たちはこの世にただ1人の存在であり、同じ人は他に1人としていませんし、誰にも否定できない確かな存在理由があります。
存在理由を言い換えれば、自分にしか果たせない使命があるということであり、どこにいようとも、様々な人との繋がりにおいて、なくてはならない役割、自分だけが果たせる使命が必ず存在するのです。
そのためには自分を省みて、自分と向き合い、自分を知る、自覚する必要があるのです。
そのとき意識に必要な要素はバランスです。
偏ることなく安定性、整合性が取れている調和です。
知り過ぎも、知らな過ぎも
話しすぎも、黙り過ぎも
求め過ぎも、諦め過ぎも
信じ過ぎも、疑い過ぎも
与え過ぎも、貰い過ぎも
期待し過ぎも、控え過ぎも
焦り過ぎも、軽視し過ぎも
過ぎれば不幸になってしまいます。 何事も適度なバランスが大事です。